-Profile-
名前:小町 香織(Kaori Komachi)
職業:気仙沼市嘱託員
出身:富山県
生年月日:1992年9月29日(2015年 東北大学卒業)
移住した年:2015年4月~
-History-
「こまちって名字なんだね!」ってよく言われます。
知り合って半年後とかに言われることもあります。小町香織です。
東日本大震災のあった2011年に、仙台の大学に入学しました。そして、2015年、大学を卒業後に気仙沼市、唐桑半島に移住しました。
私は東日本大震災の様子は、テレビ中継で見ていました。夜になっても火の勢いが止まず炎で真っ赤に染まった気仙沼の様子は、今でも目に焼き付いています。私が初めて気仙沼という地名を耳にしたのは、その時だったように思います。
とはいえ、ボランティア活動に精力的に関わりだしたのは、大学4年生の就活に失敗し、この先どうしようと迷いだしたころからです。主に南三陸町で活動し、地域のファンを増やすための活動をしていました。私自身、行くたびに豊かな自然、海の幸、そして地元の人たちの人柄にぐっと惹かれるようになり、気付けばボランティアの活動とは無関係に、南三陸町に遊びに行くようになりました。次第に、「もう少し宮城に関わっていたいな」という思いが強くなっていきました。
そんな中、2014年11月。たまたま知り合いから「気仙沼に面白い漁師さんがいる」というお誘いを受けました。会った漁師さんは、自分の顔が書かれたステッカーをお土産にくれるような人(笑)そんなfunnyな漁師さんめがけて、私は初めて気仙沼、唐桑という地に足を踏み入れました。その日に私の人生が大変動するなんて、予想もしなかったです。
漁師さんに会いにいくと、いきなりホタテの耳吊り作業のお手伝い。着たこともないカッパを着て、地元のおばちゃんたちとお話しながら、腰を痛めながら、ホタテ一つ一つに養殖用の糸みたいなやつ(なんて言うのかわかんない)を通していく作業。でも、それがすごく楽しくて、何より、おばちゃんたちの話がおもしろすぎて。
その当時は就職失敗という挫折感、将来への不安とかいろんな悩みが押し寄せてきて、正直、精神的に参っていた時期でした。でも、おばちゃんたちとの会話で、お腹がよじれるくらいに笑って、そうやって悩みを忘れて笑ったのが本当に久しぶりで。なんだか、すごく救われたと同時に、気仙沼ってとってもいいとこだな~って、単純にそう思いました。
そして、その日の午後、先に唐桑に移住して活動している方々と出会いました。そして、今悩んでいることを話すと、「こっち、来ない?」とお誘いを受けました。
今まで、大した目標もなくなあなあで生きてきた自分にとって、自分の意思で唐桑という地で活動している人たちは、すごく魅力的で。
「ここに来れば、なんか自分も変われるかも」。
そんな直感に近い予感を覚えました。
不思議なことに、移住するということに全く抵抗感はなく・・・
もしかしたらこの日のうちにもう移住することを決めてたかもしれない(笑)
すっごく、大きな出会いでした。
私が移住した理由は、前述のように「なんか自分変われるかも」という気がしたから、というのが1つ。
でも、それ以上に「ここに住んでたら笑顔で暮らせそう」という気持ちも大きいです。
気仙沼にはおもしろい人がたっくさんいます。それは、地元の方は然り、日本全国いろんなところから集まった移住者たちも然り。
一日一回は必ず心から笑顔になります。
私の笑いのツボが浅いのもありますけど。
なんだか、全身で生きている感覚を常に持てる町。 そんな気仙沼が既に大好きです。
私が好きなこの地を、もっとたくさんの人に知ってほしい。
それは、外から来てくれる人はもちろん、地元の人にも。
気仙沼に住んでいる人が今あるもの、今いる人を知り、「なんだ、結構いいところあるじゃん」って思えるように。
たとえ、気仙沼を出る人がいても、その人が住むであろう土地で気仙沼のことを語れるように。
漠然としていますが、そんなまちになるように、取り組んでいきたいと思います。
その前に、私自身この土地のことをもっと知らなくては!
まだまだ勉強することがいっぱいです。