あけましておめでとうございます!!
ってほぼ2月・・・遅くなってすみません・・・!
2018年もわたしたちペンターン女子、からくわ丸、
いや、唐桑・気仙沼全体をどうぞよろしくお願いします~~!
そんな新年一発目はさちをが担当します~!
9月からスタートしました、ブログ1周年インタビューも今回が最後です!
わたしが取材したのは、兵庫県から2015年の春に移住したみっぽです~~!
えま→さちを→みっぽと同級生3人が続きます~(笑)
年末にみっぽとさちをでこたつでゆるりゆるりと会話しました~
※関西人2人の会話なので、関西弁での会話でしたが、一部標準語に翻訳してあります。
――ではさっそく!改めて、唐桑に来たきっかけはなんだったの?
大学1年のときから、FIWC関西委員会っていう日本・海外でハンセン病回復者の隔離村でワークキャンプをする団体で活動してて
震災が起きた2011年3月もちょうど中国から帰ってきたところで、
中国では原田遼太郎さんと飲んだりアツい話ばっかりしてたから
ヒロイックになってて、今FIWCが動かないでどうするんだ!って思った。
※原田遼太郎さんについては去年の過去のみっぽの記事に出ています。
中国のJIAが唐桑に
【唐桑ルポ24】原田燎太郎氏の唐桑中講演会
当時報道ではボランティアは邪魔になるから必要ないと報道されていて、FIWCとしてどういう支援ができるかを議論していた。
そんな時、お父さんから「お前、海外でボランティアやってるのに、日本がこんな状態やのに行かんのか?」
って言われて(笑)
――パパから?!(笑)
さすがみっぽのイケメンパパやな~
※ほんとにイケメンのパパ!(さちを判断)
で、FIWCの先輩の人たちに相談したんだけど、
当時19歳の女子大生で、1人で行かせるわけには行かんって周りには言われて反対された。
FIWCの理念としては、言葉より行動を!そして現場主義。なのになんで反対するんや!と思って説得した。
1人で行くのはこころもとないから、東京で会社の社長してたワークキャンプの頼れる先輩が、一緒に来てくれることになったんだけど
ひとりでわたしを連れて行くのは不安だってことで、
なんかあった時のためにさらに医者の人を連れてきたの。(笑)
――たしかに、みっぽとふたりは不安になるよね(笑)
状況もわかんなかったしね~
それで、昔からFIWCと縁のあった唐桑に行くことになって
その3人でまず、3月24日に来たの。
――3月末とかほんと早いよね。
物資とかも車に積んできたの?
ううん、最初は自分たちの食べ物とかそのくらいで
なにが必要かわからなかったからあんまり物資は持って行かなかったかな~
――そこからガレキ撤去とかしてたの?
最初は依頼とか全然してくれる感じじゃ全然なかったし、
誰だよって目で見られてたし、ガレキ撤去とかさせてもらえる感じじゃなかったな~。
でも少しずつ各避難所に物資を分ける手伝いして、運んだり。
だんだん周りから理解されていってガレキ撤去の依頼とかが来るようになったの。
――今は地元の人もよそから来たわたしたちにすごい温かいけど、
そんなんだったんだ。
想像つかないや。
そうそう、ほんとそうだよね。
そんな感じで震災の年は夏くらいまで行ったり来たりしながら、長期的に唐桑にいたかな。
――ちょうどえまとかわたしが初めてきたのが秋だから入れ違いだね。
んでそのボランティア初期から、
残りの学生生活なにしてたんだっけ?
ん~なんだっけ?(笑)
――唐桑でちょくちょくあったりしてたし、
中国とかフィリピンにワークキャンプも行ってたよね?
後、一緒に通天閣で串カツ食べに行ったり、
USJ行ったり、岐阜に温泉も行ったけど、
後どんな感じだったの?(笑)
遊んでばっかりだな。(笑)
ん~、そんな感じ。
そう書いてて(笑)
――適当やな、おい!(笑)
じゃあなんで移住しようと思ったんだっけ?
メディア系を希望してて、内定もらってたんだけど、
なんと、留年しちゃって(笑)
――そんなこともあったね~
あちゃーってなったの覚えてるわ(笑)
それで、その時にえまと一緒にいろんな過疎地域の先進事例を見てまわったの。
※えま・みっぽ・さちをで瀬戸内海の兵庫県の家島に行ったことも。
しかし、台風でなにもできず(笑)
島根県の海士町とかいろんな地域を見て回ってるうちに
地方のよさに改めて惹かれて行ったの。
活動してる人がすごい楽しそうに見えた。
それで、今唐桑に行かないと。今唐桑を盛り上げたい。もっと唐桑のことを知りたい。
と思って移住することにしたんだ~
――なるほどなるほど。
なんでも知ってると思ってたけど、改めて聞くとおもしろいね。
ありがと~。
――じゃあ移住してから、唐桑のいい所とか好きなところは?
いろんな地元の人が仕事帰りにおうちでご飯に誘ってくれたり、
たまたま顔を出したら、そのままご飯いただいて帰ったりとか、
なかなか人のうちにこんなに呼ばれることって都会の暮らしじゃないから
ほんとありがたいな~って思う。
――得意の「突撃!隣の晩御飯」ね(笑)
でも確かにそうだよね~ほんとわたしたち唐桑の人たちに生かされてるよね~
後はイカ釣り船の漁火はキレイだよね!
あんなに海の遠くにいるのに、近くの街灯より明るいとかびっくり。
あとはね、わたしの好きな食べ物のメカブと牡蠣が最高に美味しい。
毎日食べれる。毎日食べたい。
あ~メカブの季節ももうすぐだね~待ち遠しい。
――漁火はほんとキレイだよね!
じゃあ逆に困ってることとかは?
今シェアハウスしてる唐桑御殿が広くて大きいからってのもあるけど、
1番に帰った時とか誰もいないと、帰った時寒いんだよね。
家の中も寒いから、寝てるときに耳がしもやけになった。(笑)
―――まじで?しもやけとかそんなことある?(笑)
あるよ、冬コワイ。サムイ
あとは、鹿が多い。鹿コワイ。車アブナイ。
――鹿は・・・伏せておこう。
じゃあ最後!こっちで驚いたことは?
最初の方関西弁で話してたら、コテコテの唐桑弁で
「あんだなまってっこど~」って言われたときかな。
いやいや、そっちが!ってなった。(笑)
――わかる~~!
わたしも小学生に「なまってる~」って唐桑弁なまりの小学生に言われた(笑)
あとはさ、さっきなんだけど、近所のおうちで甘いぜんざいみたいなお汁に、ご飯とうどんが入った食べ物がでてきた。
なんて名前かわからないけど、不思議な食べ物だった。
たった今驚いたこと。(笑)
——————————————–
ピリッときりっとしたところもあるみっぽですが
どうしてもわたしが取材して文章にするとゆるっとしたものになってしまいすみません!
やっぱりみっぽが先陣をきって、唐桑に来てなければ、今のわたしの暮らしとか
ペンターン女子・からくわ丸、唐桑の今のまちづくりも全然違うものだったんじゃないかと思い、
そういうところはとってもリスペクトしているさちをでした。
次回からは、通常通りのペンターン女子の日常をお送りしまーーす!!