やっぱり”唐桑”は、自分が1番いきいきしてて、自分らしくいれる場所

 
ペンターンブログ1周年記念企画、まだまだ続きます。
今回は、Asukaがお届けします!(なんだか、ラジオちっく。笑)

インタビューをしたのは、Emmaちゃん♡
わたしが唐桑に来てすぐに、いろんなところに誘って連れだしてくれたEmmaちゃん。
いつもいつもとってもお世話になってて、感謝いっぱいなのです。

わたしは移住して1年半になるけど、
そういえばこうやってEmmaちゃんのことゆっくり聞くことなかった!
と思って、とっても◎な機会となりました。

 
ーではでは、さっそく移住したきっかけを教えてくださいまし。
というか、初めて唐桑に来た時のことから、聞いた方がいいかな?

そうだね、結構ながくなっちゃうね(笑)

ーだね(笑)

初めて唐桑に来たのは2011年の10月。
日本財団学生ボランティアセンターgakuvoで、
20人くらいかな?東京からみんなでバスで来ました。

滞在したのは5日間だったんだけど、
実はその時のメンバーが、Mayumi、Sachiwo、一緒に休学してたshokoとか、豪華だったんだよね。
みんなとは、そこで初対面。

ーじゃあ、みんな初めて唐桑に来た時が一緒なの?

Sachiwoは2回目だったけど、他のメンバーは初めてだった。

ー初めて唐桑に入った時の仲間が、今も近い関係で、一緒に活動してるってすごい。
Emmaちゃんの人生を変える日だったんだなあ〜(と、心の中で思う)

唐桑にきて、お家の掃除だったり、草刈りだったりをしてて。
あと、地域でお祭りあるからそのお手伝い行ってきてって言われて、
それが中区のお祭りだったのね。

じいちゃんばあちゃんたちから、子どもまで
70〜80人くらい集まるお祭りだったんだけど、
そこですごいびっくりしたことがあって。

「◯◯のところのじいちゃん、げんきだった〜?」
「あら〜、あそこの◻◻ちゃん、こんなに大きくなったのね〜」
って、そこにいる人たちがみんなが知り合いだったのね。

それって、なかなか東京ではないことで、すごいなあって思って。
カルチャーショックだったんだよね。
これが、地域コミュニティなんだ!って肌で感じて。
これは、ここにしかないもので、東京にはなくなっちゃったけど、
ここでは大事にしてほしいなって思った。

それで、もっとこのまちのことを知りたい。
また来たいなって思って。

その時にね、つなかんのいちよさんにもあったの。
めちゃめちゃ元気で。
なんでこの人はこんなに元気だろうって。

家も浸水して、家具も、筏とか漁具も全部流されて
また0からのスタートで
そんな人が、「みんな来てくれてありがとね〜!!」って元気で。

来る前とか、まちの人は、ず〜んって、そんな感じなのかなって思ってたんだけど、
全然違って。

なんでこの人は生きる力が強いんだろうって。
もっと知りたい!って、その時思ったんだよね。

ーそうだよね。ボランティアに行く側としては、
「現地は、暗いのかな。すこしでも元気になってもらえたらいいな。」って気持ちで行ったら、
まちの人が自分たちより元気だったら、びっくりするね。

そうそうそう。
それで、その時一緒に行ったメンバーと、また行こうねって話してて、
2回目は11月頭に行った感じかな。

あと、11月の牡蠣祭りにも、gakuvoとは別で個人的に行った。
その時初めて、Takumaにあって、”ホーム(からくわの若者が集まる拠点)”に泊まって。
gakuvo以外でも学生が唐桑に来てたり、こんな若い人たちがここにいるんだ。
同世代でこんなしっかりした人がいるんだって、驚いた。

わたしにとって唐桑が、人生で初めてできた、大学とは別の”第三の場所”になって。
自分の考えをもった人たちに感化されたんだよね。

ー熱い想いを語ったり、本音を言い合える仲間・場所って貴重だよね。
居心地もいいし。

そこから、唐桑に個人的に通うようになって。
その時、東京にいたメンバーでも、自分たち大学生でもできること考えようよってなって
唐桑でメリーカラクワスっていう、地元の子どもたち向けにクリスマスイベント企画して。

やっぱり地域の人たちと一緒にやりたいって思ったから、
わたしが唐桑に来て、地域の人に会いに行ったり、地域をまわってたんだ。
めっちゃ怒られたりして、怖かったけどね。笑
木曜の夜行で唐桑に行って、月の夜行で東京に帰って、学校に行くみたいな生活してたな。

ーすご。タフだね。

案の定、単位落としまくったけどね。笑

それで、たくさんの地域の人たちに出会って、
漁師の一丸さんとか、仮設に住んでる人とか。
そこで”地域の人の本音”を聞いて、
支援している側と、されている側のギャップを感じて。

本当にこのまちに必要な支援ってなんなんだろう
って当時思ったんだよね。

やっぱり、通ってるだけじゃだめで、
住んでみないと、わからないなって思って、
1年の休学を決心しました。

ーそれで、1年唐桑に住むことにしたんだね。
休学して住んでみて、さらに移住しようって思った、1番のきっかけは?

休学から帰ってきて、就職活動をするってなった時に
まわりのみんなの働き方を見てて、わたしは違うかなって思ったんだよね。

何のために働いてるかわかんない。
お金のために働いてる。

本当の幸せってなんだろうって。
大企業で働いて、いいお給料もらうのが、わたしのやりたいことなのかなって。

やっぱり、自分が1番いきいきしている場所、自分らしくいれる場所が”唐桑”で。
ここには、一緒に働きたいって思う”かっこいい大人”がいて。

東京ではすごく反対されたんだけどね。笑
でも、最後はTakumaに「こっちで現場力を磨けって言われて」笑

ーじゃあ、悩んだ末に、唐桑で働いていて、
こっちでよかったな〜って思ったのはどんなとき?

やっぱりやりがいがすごいあって。
自分のやったこと・言ったことが、直接、人の気持ちの変化として見えて。
地元の漁師さんだったり、子どもたちだったりね。

一緒に働きたいなって思った大人たちと一緒に
新しいことができて、わくわくするしね。

ーじゃあ、生活面で移住してよかったことは?

いっぱいあるけど〜。
人と距離が近いことかな。
生活の中に人が居る。

人のあたたかみとか、近くに人を意識して暮らせてるなって。
いい意味で”土くさい”人間関係なんだよね。
生きてるって感じる。

ー東京とは違うよね。東京はなんか緊張感あるもん。

そうそう。東京に行くと、表情変わるんだよね。
あと、歩き方も変わる〜。笑

ー歩き方変わるの?笑 どうなるの?笑

ツンツン歩いちゃう。力入ってるよね。
唐桑だと、緊張しなくて、常にやわらかくいれる。
お店とかで、知り合いいないかなって探しながら歩いちゃう。 笑

ーではでは、移住しておどろいたことは?住んでみて。

う〜ん、なんだろう。

休学している時にすごいびっくりしたのが、
ぴーばあちゃん(ひいばあちゃん)と孫、ひ孫が食べているものが違ったことかな。
同じ食卓でも、ぴーばあちゃんは、魚の煮付けとか、お煮しめとか、伝統料理を食べてるんだけど、
子ども達はオムライスとか、カレーとか食べてて。

わたしにとっては、伝統料理は、ここでしか食べられないものなのに、
それを嫌いって言って食べないのね。
ぴーばあちゃんがいなくなったら、この土地の伝統料理がなくなっちゃう。
それって地域課題だなって思った。

あと、子ども達が「海から遠い」こと。

ー海から遠い?

そう。
漁師町に住んでるのに、
漁師さんに会ったことない、とか、船に乗ったことないとか
海でも遊ばないし。

わたしたちは、普段から仕事とかで漁師さんとやりとりするから距離も近いけど、
地元の人たち、地元の子どもたちにとっては、漁師さんがそんな近い存在ではないんだな。。。って思った。

ーなんでそうなっちゃったんだろう?
やっぱり、お父さんとかがサラリーマンが多いからかな?

そうだね。
親だったり、親戚に、身近に漁師がいないからかな〜。

ーじゃあ、移住して困ってることはある?

う〜ん。。。
唐桑に、夜飲みにいける場所がないことかな。
あと、エスニック料理食べれるところがないこと。
わたし、エスニック料理大好きで、東京行ったら食べるようにしてる。

ーわたしもタイ料理大好き!
パッタイ食べたい〜〜

ね、タイ料理おいしいよね〜!!
あ、あと、寒いこと。ほんとに寒い。
夏が短いし。泣

ーEmmaちゃん、夏大好きだもんね〜!
ではでは、最後に、ずばり、唐桑の好きなところは?

さっきも言ったけど、”人間くさい”ところかな。いい意味でね。
人のことを会社とか、肩書きで判断しなくて、その人の本質をちゃんとみて接してくれる。
怒る時は直接言ってくれて、裏で言わない。そんな人が多いかな。

 
インタビューは、ここで終わり。
唐桑にかかわって7年目を迎えるEmmaちゃんの、ふか〜い唐桑事情をお届けしました。
もっと聞きたかったな。
今度ゆっくり話を聞かせて〜!と、約束しました。笑