久々のブログ更新です。
間があき申し訳ありませんでした。

新年度第一回目の更新はさちをです〜

今年度もペンターン女子をよろしくお願いします!

さて、いきなりですが、
私が初めて唐桑に来た時のことをつらつら書きます。笑

2011年9月22日、
お昼に東京を出発し、東北へ向かったはいいものの
この時は台風による豪雨。

東北自動車道は通行止め、バスが事故に会う等、
やっと着いたのが深夜3時で真っ暗。

真っ暗だけど、星がいっぱいで、みんな疲れてたけど
「うわーー」って普通に感動したのを覚えてる。気がする。

学生ボランティアの拠点がある場所は地盤沈下で冠水しているので、今夜は行けないとのことで、
唐桑内の少し手前の場所に到着。

次の日朝になり、やっと目的の今回の学生の拠点に到着。

これが「つなかん」との出会いでした。

ここに寝泊まりしながら,周辺のガレキの撤去をして、

みんなでご飯を作って、食べて

みんなで寝て、1週間を過ごして、
いちよさんにも出会って。

初めてつなかんに来て以来、
1ヶ月に1.2回のペースで、学生ボランティア派遣があるたびに通うようなった

つなかんの大家さんで飛び抜けて明るい
いちよさんには「また来たの!」と言われ、
いつも会う東京の友達もたくさん出来た。

ここでペンターン女子のリーダーえまや、元祖ペンターン女子のまゆみとも出会った。

特に今東京でサラリーマンをしている
横浜の通称ちん、古田(通称ちん)と、東京のしいなちゃんとは仲が良くなった。
(2人には去年の結婚式にも来てもらった♪)

未だにいちよさんに、言われるけど、
「さちをはちんしか友達がいなくて、金髪で、大丈夫かなーと思ってたけど、毎回来るし何なのと思ってた!そんなさちをが唐桑に住むとは!」

とのこと。笑

そんな風に思われてたとは当時はつゆ知らず、笑
単純に共同生活がたのしくて、普段奈良では出会わない人と出会えるのが楽しかった。

学生生活でサークルも何も入ってなかったから、

「これやーーーー!」って。笑

トランプをしたり、

絵しりとりしたり、卓球したり。

外に出て、星の数を数えようとして諦めたり、
星を見ながら、クールな言葉を考えたり、笑

そんなしょーもないことをして、つなかんで過ごした。

3階まで津波の被ったつなかんは、
天井もなくて、畳もなくて、窓にはブルーシートが張られた状態で寒かったけど、
それでもつなかんが大好きだった。

電気が弱くて、ドライヤーをしたらブレーカーが落ちてしまうので、髪をビショビショのままで寝たり。

でもブレーカーをあげてもらうために、つなかんの後ろのいちよさんのお家に行けるって特別感がちょっぴり好きだった。

わたしとふるたで、喜んで、いちよさん家に走って行って、ブレーカーをあげてもらいに行った。笑
そこで引率のJAYや他の学生には内緒でご飯やお酒をご馳走になれる、特別感。笑

そんな学生の拠点だったつなかんは,
「学生が戻ってこれるように」
といういちよさんの気持ちから民宿になった。

そんなこんなで大学生のあいだも,わたしは唐桑と奈良と行き来し,
大学を卒業し,今気づけば唐桑に住んでいる。
最初につなかんに来てなかったら、
きっと今は唐桑には住んでいないと思う。

字が汚くて嫌だけど、笑
2012年2月に書いたつなかんノートのメッセージ。

『恩返しは一生続きます。』

それから5年。
当時は特に考えずに書いた気がするけど、
その時が来た。と勝手にそう思ってる。
絶対絶対わたしたちは力になれる。

わたしはいちよさんに、つなかんに、この家の人たちに人生を変えられて、唐桑にいるんだから。

ゆっくり時間かけて恩返しします。